2月3日は必ずどこかの神社かお寺に節分祭の様子を見に行くことにしています。
今年もやっぱり近場の鶴岡八幡宮に行ってきました。
昔は鶴岡八幡宮寺と言っていた時代もあると聞いたことがありますが、
三の鳥居をくぐってすぐのところにある太鼓橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)越しに上宮を望むポイントは私のお気に入りです。
三の鳥居をくぐってすぐのところにある太鼓橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)越しに上宮を望むポイントは私のお気に入りです。
豆まきが始まるまでまだ時間があったので、境内正面の三の鳥居を入ってすぐ右手にある源氏池の中にある旗上弁財天に立ち寄ってみました。
源氏池を吹き渡る風は冷たくマフラーを巻き直して池上の細い参道を進み・・・。
旗上弁財天御由緒記を改めて読みながら、いにしえのストーリーをまずは頭にインプット・・。
源頼朝の妻政子の平家滅亡を願う強い思いで源平池と弁財天を祀ったとのことです。
ちなみにこの旗上弁財天が祀られる源氏池には三つの島があって、三→産の意味での縁起良さを祈ったとのこと。
平ケ池のほうの島の数は・・・きっとご想像の通りです。(汗)
明治初年の神仏分離によってこの地から除かれたとのことですが、今あるお社は昭和55年に江戸末期の古図を参考に再健されたとのことです。
でも、唯一鎌倉時代からそのまま残っているものがあるんですよね・・。
政子の魂が宿るとされる「政子石」が旗上弁財天のお社のすぐ後ろにひっそりと残っています。
子宝や夫婦円満にご利益があるとのことで、特に後者の御利益を願い手を合わせました。(汗)
小さな島から池越しに見える鶴岡幼稚園からは、豆まきをする元気な園児たちの声が聞こえて来ました。
鶴岡八幡宮の御神鳩は白鳩で境内の鳩舎で飼われているそうです。
昼間はドバトに追われていつもこの旗上弁財天前の小さな境内に飛来してきているらしいです。
鶴岡八幡宮の参道に戻り上宮に向けて少し歩くと、すでに福豆拾い参加希望者の整理券待ちの大行列が流鏑馬路に沿って続いていました。
多分50メートル以上だったような・・。
多分50メートル以上だったような・・。
その迫力に負けて、福豆拾いは諦め遠巻きに豆まきを観る事にしました。(汗)
なるほど~、豆を撒く人と拾う人がいて豆まきは成立するのですね・・。
休憩所に貼りだされていたポスターを見ると、正式には「節分祭の撒豆式」と言うことを知りました。
舞殿上の福男福女から小さな袋に入った福豆が数多撒かれ、それとその上を飛ぶ鳩とが一緒になったようで何だかすごく綺麗な光景でした・・。
そんな中、私の目の前で一生懸命カメラを構えていたご老人が一人いました。
撒豆式が終わる頃、その方の足元のつま先に偶然福豆の小袋が一つ落ちているのを近くのご婦人が見つけ教えてあげたんです。
靴のうえにちょんと置かれたような小袋をそのご老人はおもむろに拾い上げると、
まるで「もう私はいいから」とでも言わんばかりにニコっとして、近くにいた若いお母さんに抱かれた赤ちゃんにそっと持たせたんです。
なんだかいい日だった・・・。
Reported by KAM